スヌーピーで知られるコミック「ピーナッツ」。米カリフォルニア州サンタローザには、作者の名前を冠した「チャールズ M. シュルツ美術館」があります。今回は、編集部が訪れた際に撮影した写真とともに、シュルツさんと日本人アーティストのストーリーを交えてご紹介(現地取材:2017年7月9日)。
50年間、コミックを描き続けた
コミック「ピーナッツ」は、1950年から2000年までの50年間、アメリカの新聞で連載されていた漫画です。作者のシュルツさんは、1997年75歳の誕生祝いとして取った5週間の休暇以外、休むことなく一人でコミックを描き続けました。
連載当初、スヌーピーが4足歩行だったということはご存知でしょうか? 年代によってタッチが変わり、キャラクターたちも進化したのです。
スヌーピーの世界にどっぷり浸かれる!
シュルツさんの生まれはミネソタ州ですが、1969年からカリフォルニア州サンタローザに移り住み、2000年に亡くなるまでの約30年間、この街で過ごしました。街のあちこちにはスヌーピーやチャーリー・ブラウンの像がいくつも建っています。
「チャールズ M. シュルツ博物館」には、シュルツさんが膨大な量を描き続けた仕事場の再現や何千枚もの原画、日本人アーティストによるユニークな壁画などが展示されています。
シュルツ美術館 誕生のきっかけは日本人アーティスト
1990年代、シュルツさんの周囲でミュージアム建設の計画が立ち上がった当初、シュルツさんは控えめな性格のため、計画に前向きではなかったようです。ところが、アーティスト大谷芳照(YOSHI)さんが手がけた日本のスヌーピータウンのアートや展示物を見て、徐々に計画への意欲が高まったとのこと。
後に大谷さんはシュルツ夫人のジーニーさんから依頼され、美術館計画メンバーのコアスタッフとして加わりました。
アートを愛し、お互いを天才と呼び合う2人の友情
大谷さんが初めてシュルツさんに出会った際、大谷さんのアートを見るたびに拍手を送り「天才だね!」と称賛したシュルツさん。
そのときからシュルツさんは、大谷さんのことを「天才」と呼び、大谷さんもまたシュルツさんを「天才」と呼んでいました。その後、シュルツさんは大谷さんに“YOSHI”というアーティストネームを授けたそう。
アートを愛する気持ちを共有した2人。シュルツさんが美術館アートを依頼する際、大谷さんに話した言葉があります。
“私は、50年間ピーナッツを毎日描き続けてきた。YOSHIも自分のアートを描き続けなさい。”
『PEANUTS FOUND IN TRANSLATION』より
シュルツ氏が他界した2年後の2002年、美術館がオープン。そして、大谷さんはこのシュルツ美術館でアート展を開催。自身のアートを通じてシュルツさんの精神を生き続けさせることができると信じています。
まだまだ知らない、スヌーピーの魅力
世界中の誰もが知っているキャラクターと言える「スヌーピー」。日本では、2016年に期間限定でスヌーピーミュージアムがオープンし、2年半で130万人を超える人々が訪れたほどの人気でしたが、その世界は、知っているようで、意外に知らないこともまだまだあるかもしれませんね。
現地取材:2017年7月9日
参考文献:『PEANUTS FOUND IN TRANSLATION』
※2021年2月17日現在、チャールズ M. シュルツ美術館は新型コロナウイルスの影響で臨時休業となっています。最新情報は公式サイトよりご確認ください。
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